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「祖父と私」
お客様商売をしていながら、なかなかこうお手本となるような接客ができずにいる。
ホテルや一流店によく出掛けてプロフェッショナルな一挙手一投足を見るにつけ、
これは見事なもので、いやしかしとうてい自分には覚つかぬことだとハナからあきらめている。
一体全体どこでそんな行儀を覚えたかなどと云う場合は、目をつぶらずに言葉を選びながら申し上げる。
こんな調子だから一向に接客業というものに慣れないでいるが、
だからと云って、お客様がご来店してよろこんで召し上がって頂ければうれしいと思う気持ちやを忘れたことははない。
サービス業の定義なるものがあったにせよ、それははなはだ大ざっぱなような気がして、
各企業とか各店舗それぞれの体質に合ったものが多いのかもしれぬ。
僕の祖父は生前、事業をいくつかしていたようで、もし生きていたら
「おまえは一体何を考えている。こんなボロ店一軒でどうする。」
などとハッパをかけたに違いない。
「もっともっと働いて、いつもニコニコとして、このくにもとを拡大して全国に名をとどろかせて……」などと云うかも知れない。
もっと働いてに異存はないが、今のままのほうが良い。
人間の器で云えば大きいという程でもなく、むしろ小さいかも知れぬが、この方が性に合っていると思っている。
本店の僕や新館の弟はそれぞれ一度に造れる肉は一日で30人前位がせいぜいである。
100人前、200人前は、造れないことはないがそのようなことはしない。
第一それ程予約もないし、あったにせよ受けない。
仕事がパターン化して良くないし、お金にはなるが途中で嫌になるかもしれないので広げないのだ。
接客も仕込みもこの焼肉の仕事も、全部全うしようと目標をかかげないし、自分が嫌にならないように程々にすることにする。
祖父が聞いたらそれこそ「おまえという奴は……」などと云って、父と一緒に墓から飛び出してくるような心持ちだ。
仏壇に手を合わせて、「これは僕の流儀だ」となかなか声に出して云えないが、
お客様があっての商売であると云うことは祖父も僕もきっと同じ心持ちである、と自分にいい聞かせている。
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