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厨房思案 第二十六話


「古きをたずねて新しきを知る」

昭和49年頃だったと覚えていますが、
大阪に住んでおりまして、確かオイルショックのあった翌年に焼肉店に就職しました。
当時の大阪焼肉の全てを知っている訳ではありませんが、よく覚えているのは、焼肉は今と違い「タレ」が主流でした。

高級店の「明月館」、味の良い「東大門」、ファミリー層に人気のあった「大同門」、下町へ行くと生野(いくの)の「ゴロハチ」、大池橋の「一龍」、船場の「さかい」、西成の「ともえん」など、
当時、店によってはお金を工面してよく出かけました。
もう今では遠い昔の話ですが、どのお店も「タレ」に関してはそれぞれに肉の旨みを引き出す一級品の仕事をしておりました。
「タレ」と云いましても、その種類は、肉、ホルモン、サムチュ、フエ(※お刺身のこと)、キムチ、カクテキ、オイキムチなど、それぞれに「タレ」や「薬味」をがあって、素材の特性を生かすものとして各店工夫や研究をして、独自の「タレ」を「開発」しておりました。
当時は今のように黒毛和牛のA−5などと云うような上等の肉などはこの僕も知らないでおりましたし、現在から比べますと格段の差がありました。
上等な牛肉は高級店などに行って食べるか、そうでない時は下町のホルモン屋さんに行っておりましたので、その辺はよく覚えていませんが、肉質は現在の牛肉がはるかに上質です。

今のように柔らかい牛肉をカットしてタレをサラッとかけてなどと云うものではなく、
少し歯ごたえのあるネックやブリスケットの肉を包丁のカカトの部分でコンコンとたたきながら何回も何回も筋目や肉を食べやすいようにする訳です。 そうして下ごしらえをして、今度はモミダレというタレにしっかりとつけてもみこんで、さらに薬味などを入れて焼肉の肉になる訳です。

こういう下ごしらえは牛肉の質の向上によって今となってはあまり見かけなくなりましたし、肉質がよければむしろ塩で食べてもおいしいのですから、その移り変わりには時の流れを感じます。
しかし、当時の大阪は「タレ」の文化真最中であり、程良く下ごしらえをした牛肉やホルモンなどを彼等のたゆまぬ努力と改善で生まれた「タレ」につけもみこむことによって、肉の旨みを一味も二味も引き出す役割を果たしおりました。
そうえば、牛タンも「タン塩」などなく、タレで、しかもミソダレでもみこんで焼いておりました。
このあいだそれを思い出して、久しぶりに造ってみましたが、なつかしくて、つらくて、少しホロッとしながら食べて、”おいしい”と回想をしてしまいました。

僕はどちらかと云うと古いタイプの人間なもんですから、そういう「タレ」の文化を大阪で見習ってきましたので、これはぜひ継続して末永く守ってゆきたいと強く思って、今でもこれを実行していますが、最近の若い人達といいますか、焼肉全般に「塩」が増えまして、少しさみしくなることもあります。 本当の焼肉ってやっぱり「タレ」でしょう? なんて弟と2人、ああでもないこうでもないと話していた頃もありました。

しかし、よくよく考えて見れば、タレか塩かは好みの問題であり、ましてやこれだけ牛肉の質が向上しているこの時代に、どれが本当でどれが本当じゃあない、なんてありませんね。
どれも、今ある焼肉屋さんは本当の「焼肉屋」さんであり、リアルタイムの「焼肉」だと思います。
自動車で云うなら、タイヤが4つ、ハンドルがひとつ、エンジンがあって、あとは時代と共にスタイルや質感が進化する。この「焼肉文化」も同じで、時代と共に進化しつつ、オールディズなスタイルから新しい焼肉屋さんまで、今も休むことなくブルンブルンと動き続けているんですから、これはこれは喜ばしいことですよね。

でも進化し続けてあと50年もしたら、手塚治虫のマンガのように、
七輪も牛肉もタレもナーンニモイリマセン、
ハイ、コノジョウザイヲ ノンデクダサイ、
ホラ、ヤキニクノアジガスルデショウ?
ハイ、オシマイ。
なんて進化したら、これはやっぱりいやですね。

もっとも50年後なんて僕はもうおりませんが、
未来の人達にも今のこの焼肉を食べてほしいと思います。

於、自宅、オリンピックを観戦しながら
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