「ありがとう」
毎年、お彼岸と年末に祖父母、そして父の墓参りをする。
ひとりで行く時もあるし、だれかと一緒の時もある。
お墓の清掃をしてお酒と果物を供えて、お線香を立てる。
手を合わせて目を閉じると、ほんの一瞬、祖父母や父の顔が目の裏に表れて、その姿を見るような時がある。
機嫌よく穏やかな雰囲気を感じとる。
父などは若い頃の顔で、長袖のシャツをまくってきっちり七三の髪が懐かしく、少し横向きに映る顔はなんともすがすがしい。
今日は久しぶりに息子2人と家内。
長男は線香に火を移し、次男は黙々と墓石の落ち葉を取り払う。
家内は果物と酒を用意し、それぞれの墓前にお供えする。
墓前のそばに赤い彼岸花が咲いており、それは昔々「まんじゅしゃげ」と呼ぶと誰かに教わった。
”赤い花ならまんじゅしゃげ”と歌にあったように思う。
考えてみれば僕の髪はとおに白くなり、息子達も、気が付けばすでに青年になっている。
年中仕事ばかり追いかけて、彼岸の花に目もくれず、気づくこともなかった。
息子達の苦悩にも、僕は話を聞いてあげられなかった。
怒りに満ちた彼等の目を見たのはもうずいぶん前だ。
しかしこうして親子4人、墓石を洗い、お線香を立てて手を合わせた。
うれしかった。
仕事のことや、何かに行き詰まった時などに、父がいたら聞いてみたいことは何度かあったが、しかしそこに答えがあるはずもない。
ただそういう存在がほしかった。
帰りに家族で食事をした。
何か気の利いた話もなく、疲れていたし、4人で静かに食べた。
食べながら息子2人を見るうちに、ふと、「ありがとうな」という声を聞いた。
いや、そんな気がしたのかもしれない。
息子がチャーハンをよそってくれた。
うれしかった。
「ありがとうな」
この言いまわし、これはきっと父の声だった。
確かに僕はそれを聞いたのだ。
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